豚飼い雑感2011春
梅の木に思う

今年もまた梅の花の咲く春がやってきた。ごつごつと曲がって伸びる枝ぶり。小さく、堅く、縮こまった樹形。樹皮には苔か、粘菌のようなものがくっついている。その武骨さからは意外なほどしなやかで細い若枝に、これまた素朴な花が咲く。桜よりも地味。雪に降られたり、霜に打たれたりしながらも新しい春の到来を告げる。
梅の木を切り倒して、薪にしたことがある。堅くて、重くて、燃えにくかった。私の勝手な解釈によると、そのような木の性質は、梅の木の、自らの弱さに対する実直さからくるもののように思われる。
 梅の木は梅の木にすぎない。大きな自然の中で、その存在一つ取り出してみれば非力なものだろう。ただしその木は自分の弱さをよく知っている。そして自らの弱さに対して誠実だ。だから竹のように勢いよくまっすぐ伸びたりはしない。わざわざ歪みながら気難しげに年輪を重ねていく。それでいて決して自分の弱さに甘えることはない。凍てつく夜に、枯れたように堅い幹から、しなやかに細い若枝をいくつも伸ばす。切ってくれと言わんばかりだ。それが梅の木の素朴で、武骨な形をつくるのだと、勝手に思っている。
 などとのんきなことを言っていられるほど穏やかな春ではないことは、私でもわかっている。あまりに悲惨な現実から目をそむけたいわけでもない。ただ寒い時ほど暖かさがほしいのと同じで、今年はやけに控え目に咲く梅の花が目にとまり、そんな梅の木のやり方が好きになる。
春が巡ってくるたびに、古い梅の木にも咲く花の幼さというか、初々しさにいつも感心してしまう。あの武骨な木の内に、こんなにも優しい花が秘められていたのかと。
 私たちも社会の中心に力をおいてはいけない。そこにはいのちがあるべきだ。そしてそれは梅の花や、生まれたばかりの幼子がそうであるように、やわらかく、優しく、弱いものだから、それを守るためにこそ私たちは強くあるべきだと思う。それは例えば原子力という強大な力でもって、お湯を沸かそうというようなやり方とは正反対のやり方だ。
 


豚飼雑感 | 22:36:01 | トラックバック(0) | コメント(0)
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